本住吉神社


本住吉神社の歴史

 ・本住吉神社の歴史を年表で紹介します。


本住吉神社と大震災

・震災直後

・復旧から復興へ ―― 本住吉神社の復興


・繁栄講演会と早朝神想観

・本住吉神社の元旦

 神戸市東灘区には本住吉神社があります。この神社には住吉大神がおまつりされています。この本住吉神社は、生長の家と深い由縁があります。谷口雅春先生は、この本住吉神社の大神様から生長の家の真理を啓示されました。雅春先生は、その時のことを次のようにお説き下さっています。

 此の真理の啓示を受けましたのは、私が兵庫県武庫群住吉村に住んでおりました頃に、勇湯という銭湯がありまして、午前五時頃からもう新湯が沸いておりましたので、風呂好きの私はいち早くその銭湯へ出掛けて行き、快い湯加減に温まって爽やかな気持ちになり、身も清浄、心も清浄にあらい浄めたそのままに、勇湯から三丁ばかりの距離にある産土神社なる本住吉神社に、毎朝日参して日本国の隆昌と皇室の御安泰とを祈願して帰ることにいたしておりました際に、その本住吉神社の大神から霊感をいただいたのであります。従って、生長の家の説いている真理を掲示された本尊神は住吉神社であらせられるのであります。
(『白鳩』昭和三十七年四月号『住吉大神出現の由来因縁について』)

雅春先生が毎朝通われていた銭湯『勇湯』があったところ。
現在はその銭湯もなくなり、駐車場となっていた。
雅春先生は、『柳の川の家』に住んでおられた頃、毎朝5時に勇湯の朝風呂に入られ、往復600mの道のりを歩いて本住吉神社に日参された。体を浄めて社前で皇室の弥榮と、日本の隆昌を祈られた。
雅春先生が大正15年8月からの2年7ヶ月にわたって住まわれていた『柳の川の家』があったところ。
毎朝ここの家から勇湯に行き、その後本住吉神社に日参された。

 住吉大神(すみのえのおおかみ)とは底筒男神(そこつつのをのかみ)・中筒男神(なかつつのをのかみ)・表筒男神(うわづつのをのかみ)の三柱で、けがれを除き、悪を払い、清浄と幸福とを招来し給う御霊徳を具(そな)えられ、御鎮座の時「往きかう船を見ん」と仰せられた如く、朝槌の神として、古くから海上守護に至高の御神徳を有せられる神であられる。また御親祭の由縁によって奉祀する神功皇后は、安産の守神として広く信仰をあつめている。
(『本住吉神社誌』より)


《本住吉神社と大震災》

 平成7年1月17日の『阪神・淡路大震災』は記憶に新しい出来事ですが、この大震災によって本住吉神社も被害を受けた建物のうちのひとつです。ここでは震災当時の様子とその後住吉神社をレポートします。


◇震災直後◇


正面から見た本住吉神社


 この写真は、震災3日後に撮影したものです。
 鳥居は崩れてしまい、手前から石畳にそって立っていた灯籠もことごとく倒れてしまいました。また手水舎(写真右)も屋根が完全に落ちていることがこの写真からも分かります。


神社拝殿


 同じく震災3日後の本住吉神社拝殿です。手前の柱4本が大きく左に傾いていることが分かります。倒れずに何とか持ちこたえている、といった感じでしょうか、今にも倒れそうです。 丁度左には絵馬所が見えますが、この絵馬所も拝殿の屋根に押されて傾いています。


神社外から拝殿を眺める


 これは、神社の外にある道路から撮ったものですが、このように塀も崩れてしまい、神社の奥まで見渡せる状態になっていました。神社の道路沿いの塀はすべてこのように崩れているかまたはかなり傷んでしまったので現在は新しい塀を造っているようです。


◇復旧から復興へ ―― 住吉神社の復興◇

 このように、震災によって被害をうけてしまった神社境内が現在はどのようになっているのか、写真をご覧下さい。

鳥  居


 震災で崩壊してしまった鳥居ですが、現在はこのように真新しい鳥居が建てられました。正面から見て右(写真左)には「献 生長の家」、同じく左(写真右)には「平成七年十月吉日 建立」という文字が刻されていました。


拝  殿


 拝殿は柱が傾いていましたが、現在は傾きも修正され、以前の姿に戻りました。
 ここからは見ることができませんが、この拝殿の中にある柱はすべて新しいものに替えられました。

 


狛犬


 拝殿に向かって左右にある狛犬も新しく建てられました。以前あった狛犬は、昭和37年11月、谷口雅春先生と生長の家関係者による奉献である、と『 本住吉神社誌 』に記されています。
 この狛犬の裏には

  生長の家
    谷口雅春    

という文字が記されていました。