案内用年表

※雅春先生の御誕生〜入京なさるまで
西暦 年号 備考
1893 明治 26 11 22 谷口雅春先生御生誕(父・谷口音吉氏 母つま・様 次男)

※(兵庫県八部郡烏原村東所)

※この時、(暁の6時)西の空には満月が輝いて、東の空には太陽が昇りつっあった。太陽と、月と二つの光に照らされつっ、護られつっ生まれられました。(実父 音吉様の話)19巻

1896 29     雅春先生 石津家の養子となる。

※1896年 雅春先生は、石津又一郎氏、谷口きぬ様(実父音吉氏の妹)の養子となられた。(時の法律では二人共、戸主である為、戸籍の上入籍が出来ず、ご夫婦であるが、夫々の名を名乗っていた)

3 7 谷口輝子先生御生誕(父江守又一氏 母志げ様 8女)

※富山県高岡市片原横町10番地でご生誕

1898 31 4   大阪の小学校入学(数え6才…満4才5ケ月)
1901 34 6   ※お生まれになった烏原村は、烏原水源池となった。美しい自然に囲まれた平和な農村が水の底になりましたが、かえってこれがよかった。

※雅春先生の御生誕のころの美しい山々が、神戸市の町の、まん中にありながら、水源地となったために、国や県に保護されて、自然が護られている。

※生命の実相 19巻4頁「ともかく、私の生まれた土地は、こうして満々と紺青の水にたたえられ、浄められて、何者にも犯されず、番人がついていて、汚される事から護られているのである」と書かれている。(中略)

※「四季の山水の光景の楽しみ、山々のたたずまい、水にうつる白雲、水鳥の群れ戯れる有様など、およそ国立公園にも珍しいほどの、けがされない、純潔な、それでいて規模の大きい、天然人工の公園をなしている」と名文で記されている。

※水没前の烏原村は戸数98戸、住民414名で、木皮細末の線香原料粉を作っていた。

※烏原の水源地は立ケ畑ダムと云われ、ダム高33米、ダム幅122米、ダム一周2.7KM、着工明治34年6月、完成明治38年5月、貯水量約131萬立方米、水没前村で使っていた石臼が護岸に使われている。

1906 39 4   大阪の市岡中学校入学(満12才)

※国語の先生(一柳安次郎、ひとつやなぎやすじろう)に感化されて文学の道に志す様になった。明治38年5・5「本住吉神社」と社号を改称する。

1910 44 3   大阪の市岡中学校卒業
4 8 早稲田大学高等予科(文科)入学
1911 45 7 3   〃    主席で卒業 特待生となる (20才)
1912 大正 1 9 11 早稲田大学文学部英文科乙組に進学

※同窓生に 直木三十五、西条八十、青野季吉、坪田譲治、木村毅、岩淵辰雄、細田源吉、細田民樹等がいる。(当時の文学界第一級の人達)彼らが、雅春先生を激賛していた。

1914 3 2 24 早稲田大学中退

※トルトイの人類愛の小説「復活」を読まれて、この小説の筋書き通りの、刑務所から出てきた、一人の少女(房江)を救はんがために、小説の主人公、ネフリュードフと同じく、すべてをささげられたのでした。(小説はまさにその、筋書きどおりに人生を、脚色してしまうものである。ことを先生は教えて下さっている)

1914   2 摂津紡績(現ユニチカ)木津川工場に技術練習生として入社

※朝8時〜午後4時まで働きながら、夜は毎晩、西野田商業夜学校、紡織科に通われた。この時先生は近着の、外国の、紡織雑誌の記事を翻訳されていた。

1916 5     摂津紡績 明石工場に転勤

※(生命の実相第19巻の御文章)神戸から明石に通われるその間の、御文章は国語の教科書として、又、文学の精髄として、これ以上の名文はありません。是非、国語の教科書にとりあげてもらいたいものです。

1917 6     摂津紡績 明石工場 退社

※資本家の横暴と、しいたげられる女工の苦しみ、このような世界を救う道は、と思われての退社でした。又、工場生産の献策も認められなかった絶望もあった。

1918 7 4   大本教を知る(岡田建文氏より雑誌「彗星」が送られて)

※神霊世界の平等の社会出現の、世の立て替へが述べられてあり、それに興味を持たれたのでした。

1919 8 早春   大本教に入信し綾部に移住
  輝子先生、大本教に入信 今井楳軒宅で修行生活開始

※雅春先生は、まもなく文章の才能を認められ、出版物の編集主任となられた。

10 23 谷口清超先生御生誕(父・荒地清介氏 母・多賀代様の長男 広島市南竹屋町)
1920 9 6 30 処女出版物「皇道霊学講座」を東京、新光社より出版
11 22 雅春先生・輝子先生 今井楳軒先生媒酌でご結婚

※輝子先生25才、まさに無一物の中、畳にキノコの生えるのを、又、よき眺めとみられる物質肉体を越えられた、魂の御生活でした。

1922 11 10   大本教脱退

※神の真の愛を求めて、先生と奥様は東京に行かれた。そして、赤貧の中から「聖道へ」を東京、新光社より出版。

1923 12 9 1 関東大震災に逢う(東京市浅草区松葉町 半田様方 在住中)

※このとき避難先の上野公園に行かれる時、ひどい傾斜面をはい上つたが、後から来る多くの人々を、妊娠臨月の輝子先生は雅春先生と共に、崖からひっぱり上げて救助されたのでした。

13 高岡の輝子先生の実家 江守家に避難

※このときも雅春先生はバターを食べられなかった。

10 10 恵美子先生御誕生(高岡市中川町の江守家で)
12 13 神戸の養父母のもとに帰る(神戸市夢野町3丁目40-1)
1924 13 2   生田神社に日参された帰り道、永田文進堂でフエンウイック、ホルムス著
The Law OF Mind IN Action”入手
4 17 清貧道(せいひんどう)から無礙道(むげどう)への転機となる論文、「個人における『宣光社』的はらき」を執筆
11 25 ヴァキューム・オイル・カンパニー入社

※ホルムスの本によって、心の力でどうにでもなれる、ことを知った先生は就職を祈られたのであった。1ヶ月程たった或る日、養家では節約のために新聞は取っていなかったのに、誰が借りて来たのか、眼の前に一枚の「大阪朝日新聞」がひろがっていた。何気なく見たそこに高級翻訳係募集の記事があった。応募されて俸給100円と希望したところ、語学力の優秀ということで即座に170円支給される事になった。

1925 14 1 13 梅ノ木の家を見つける(武庫郡住吉村字梅ノ木859-1)……2年2ヶ月在住

※住吉大神に導かれて心の法則を学ばれるのである。会社に就職されて経済的には良くなられたのに、健康的には家族がともに苦しまれたのであった。

※この梅の木の家は、借りた人が五代にわたって結核で亡くなったことを、近所の人から聞いた輝子奥様は、家主に願って畳を新しくしてもらったりした。又、生命保険医より先生は30代で死ぬと言われた。このとき先生は死んでなるものか、生き抜いてやると決心された。(先生が転居されて後に入居した人も死に、その後借り手がなく取り壊された)

※登記所で、柳の川、藤棚の家、境目川(さいめがわ)の家は確認出来たが、梅の木の家はわからなかった。(これは借家人が6人も亡くなり、先生も不健康で苦しんだ家とわかれば、後々の人が困るであろうと浄化されて消えているものと思う)

6 10 ホルムス著「如何にせば運命を支配し得るか」翻訳実業の日本社より出版
1926 15 8   柳ノ川の家に転居(御影町柳900)…2年7ヶ月在住
1928 昭和 3     自宅に於て、月一度日曜日に「求道者の会」を開催、この頃「雅春」と改名された。

※毎朝5時に、勇湯(いさみゆ)の朝風呂に入られて、本住吉神社に日参された。(往復600米の道のり)体を浄めて社前で皇室の弥榮と、日本の隆昌を祈られた。

※そして遂に「物質は無い、肉体は無い、罪なし、病無し、迷い無し」光明一元の世界を悟られたのであった。

1929 4 12 13 2回目の盗難の後「今起て!」の神啓を受けられ、生長の家の執筆開始さる。

※盗難のため、たった一枚の背広を染めて(奥様と先生はお二人で絞りあって)着用、会社に行ったところ、会社で「イヨー、谷口君オニューだね」と言われた。

    まもなく藤棚の家に転居(住吉村字八甲田690)…2年4月在住 神示16天降る
    生長の家創刊号1,000部、納本さる。

※知人、同窓生などに送本開始、乳母車に積んで住吉郵便局に送りに行く、帰りにはカラの乳母車には恵美子先生が乗って帰るのを楽しみにお手伝いをされた。

※昭和54年3月1日(1982)本部会館での立教50周年記念式典のとき、本部道場から雅春先生、清超先生、輝子先生、恵美子先生が出てこられた。ロビーで復元された「うば車」を見られた時に、輝子先生が「恵美子のってごらん」と言われた。ああまさに感動、これは低い声でささやかれたのであるが、福島先生がハッキリと拝聴したのであった。

※この藤棚の家は今は、神戸市東灘区住吉宮町6丁目17番地となっている。

1930 5 3
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立教の日(創刊号発行日の奥付に記載された日)
神想観発表
招神歌発表
◎ 神示・生長の家の食事
甘露の法雨発表
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◎ 完成の燈台の神示
◎ 万教帰一の神示
◎ 新天新地の神示
◎ “心の法則”と“平和への道”の神示
◎ 帰幽の神示
生命の実相合本発行(現復刻版)
◎ 神示・生死の教え
◎ 大調和の神示
◎ 最後の審判に就いての神示
◎ 信仰生活の神示
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◎ 声字即実相の神示
◎ 自他一体の神示
◎ 上求菩提・下化衆生の神示
◎ 『いのちゆには』の神示
◎ 使命邁進の神示
◎ 無相円相一切相の神示
5   境目川(サイメガワ)の家に転宅(住吉村字八甲田695-2)……2年4ヶ月在住 神示13天降る
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◎ 無限供給の神示
◎ 久遠天上理想国実現の神示
◎ 万教包容の神示
ヴァキューム・オイル・カンパニー退社
◎ 懺悔の神示
◎ 実相金剛身の神示
◎ 無病常楽の神示
◎ 本来生、不滅の神示
1933 8 1
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5
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25
◎ 梅の花の神示
◎ 自然流通の神示
◎ 至上者の自覚の神示
実相を観ずる歌発表
◎ 本当の信仰に就いての神示
◎ 霊魂進化の神示
◎ 児童教育に関する神示
久遠の実在合本発行(現復刻版)
1934 9 8
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30
谷口雅春先生東京に出発さる
入京された
1945 20 11
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12
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◎ 終戦後の神示(未明)
◎ 日本の実相顕現の神示(未明)
◎ 君民同治の神示(午後12時)

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